日光神社・日光神宮寺跡(町指定文化財)

現在の日光神社の様子

現在の日光神社の様子

日光社参詣曼荼羅

日光社参詣曼荼羅

有田川町上湯川の日光山中に鎮座する日光神社。

当神社は、聖地高野山と熊野三山とを結ぶ最短距離の山岳古道である古辺路の中間に位置し、山岳修験の拠点として鎌倉時代には創建されていたと考えられています。

平惟盛ゆかりの旧家である小松家に伝来する日光社参詣曼荼羅(和歌山県指定文化財)には、社殿や鳥居、多宝塔や鐘楼堂などの多くの建物が巫女や僧侶、巡礼者など41人の人物とともに描かれており、往時のにぎわいを表しています。

昭和41・42年には吉備高校清水分校が主体となって発掘調査が実施され、曼荼羅にも描かれていた多宝塔などの建物跡や経塚が発見され、護摩炉や鏡、銅製鈴など多数の遺物も出土しました。また、火災の痕跡も確認され、応永26年(1419)頃の火災により焼失したという記録が裏付けられました。

昭和44年には、史跡日光神宮寺跡として町指定文化財に指定されています。

平惟盛伝説

鎌倉時代の初めに屋島の戦いに敗れた平惟盛は、源氏に追われて紀州のこの地に逃れてきました。

そこで文覚上人に出会い、高峯(護摩壇山)で護摩を焚いて、平家の行く末を「煙が天に昇れば再興、谷に下れば一門の最期」と占ったと伝えられています。

占いの結果は、非情にも煙は谷に下り、落胆した惟盛は名を小松弥助と改め、上湯川に隠れ住むことになりました。

その後、惟盛は村人から「殿様、上様」とあがめられ、徳川時代になっても、藩は惟盛の末裔と称する小松の家系を認め、村の政治を任せるようになったそうです。

現在の護摩壇山の名も、この平惟盛伝説に由来すると伝えられています。

交通アクセス

高野龍神スカイラインの笹の茶屋展望台から800メートルほど下った山中(日光国有林内)にあります。
笹の茶屋展望台から林道を少し戻った先に整備されている遊歩道をご利用ください。

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社会教育課
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更新日:2019年03月15日