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日光神社・日光神宮寺跡(町指定文化財)


有田川町上湯川室川谷の奥深く、日光山中に鎮座する日光神社。
当神社は、聖地高野山と熊野三山とを結ぶ最短距離の山岳古道『古辺路』ルートの中間に位置し、中世頃に、山伏や行者たちの修錬と宿坊の拠点として創建されたと伝えられています。
当時は、春日作りの権現社殿、4ヶ所の鳥居、38社の密教系寺院が立ち並ぶ威風を誇りましたが、応永26年(1419年)頃の火災により焼失しました。

昭和41・42年に、平惟盛【※】ゆかりの旧家・小松家所蔵の「日光曼荼羅絵図」を参考にした発掘調査が吉備高校清水分校(当時)が主体となって発掘調査が行われました。
曼荼羅絵図にも描かれていた寺社伽藍の礎石や多宝塔などの建物跡、経塚が発見されました。土器や護摩炉・鏡・銅製鈴など多数の遺物も出土しました。

昭和44年には、『史跡日光神宮寺跡』として、町指定文化財に指定されています。

平惟盛伝説

鎌倉時代の初め、屋島の戦いに敗れた平惟盛は、源氏に追われて紀州のこの地に逃れてきました。
そこで文覚上人に出会い、高峯(護摩壇山)で護摩を焚いて、平家の行く末を「煙が天に昇れば再興、谷に下れば一門の最期」と占ったと伝えられています。
占いの結果は、非情にも煙は谷に下り、落胆した惟盛は名を小松弥助と改め、上湯川に隠れ住むことになりました。
その後、惟盛は村人から「殿様、上様」とあがめられ、徳川時代になっても、藩は惟盛の末裔と称する小松の家系を認め、村の政治を任せられるようになったそうです。
現在の護摩壇山の名も、この平惟盛伝説に由来すると伝えられています。

電話番号 0737-52-2111(代表)(社会教育課)
交通アクセス 高野龍神スカイラインの「笹の茶屋展望所」から数百m下方の標高900mの山中(日光国有林内)にあります。
「笹の茶屋展望所」から林道へ少し戻った先に整備されている遊歩道をご利用ください。


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