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北山谿太(きたやまけいた)

北山谿太(1884~1966)

その生涯を「源氏物語」の研究に捧げた人物です。

北山谿太は、明治17年(1884)、有田川町大字市場に生まれました。
明治38年(1905)、和歌山師範学校を卒業後、長谷川尋常小学校訓導を勤めました。
中野尋常小学校・鳥屋城尋常小学校・小川分教場などを転任し、大正3年(1914)には宮原尋常高等小学校長、大正7年(1918)には石垣尋常高等小学校長、大正10年(1921)には有田高等女学校教諭に任命されました。

  大正9年(1920)から着手した「源氏物語」ですが、読み進める内に、その世界に魅了されて行きます。
大正13年(1924)8月6日の日記には「生涯の研究を源氏物語と定む。」と記しています。
また、昭和3年に有田高等女学校で開催された講習会の席上で、「我が生涯をかけて必ず完成させる」と源氏物語辞典について、並々ならぬ強い決意を披露しています。

源氏物語辞典編さんの決意を固め、昭和7年(1932)に有田高等女学校を退職。同年10月に上京して、専門家・学者に辞典編さんについての意見を求めました。ところが、ほとんどの専門家に「不便な田舎でまだ誰も手を着けられていない難解な源氏物語に取り組むのは無謀だ。やめた方が良い」と意見されてしまいます。

しかし、背水の陣で望んでいる北山は、昼夜を問わない研究に没頭。昭和17年(1942)に出版を引き受ける出版社が現れ、昭和19年(1944)に第1回の校正刷が完成したものの、戦争末期の極度の物資不足のために、出版は無期延期となってしまいます。

それでも諦めることなく、北山はさらなる研究への努力を源氏物語に注ぎます。

そして、昭和32年(1957)、日本で初めての「源氏物語」の辞典がついに出版されました。

他にも、永年の研究・研さんの成果として、『源氏物語のことばと語法』、『源氏物語の語法』、『源氏物語の新研究 桐壺編』、『源氏物語の新解釈』等の著作を発表しています。 日本が世界に誇る古典作品「源氏物語」の研究史上、特筆すべき功績を残した北山谿太は、昭和41年(1966)、81歳でその生涯を閉じました。 有田川町教育委員会では、北山谿太の業績を讃え、その関連資料が有田川町にとって貴重な文化遺産であるとし、平成20年6月26日付けで有田川町指定文化財に指定しました。