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明恵上人

伝明恵上人坐像
有田川町歓喜寺蔵

明恵上人(1173~1232)

「かつて、こんな美しい僧が日本にいたでしょうか」と、いう書き出しで明恵上人を紹介した本があります。
明恵上人は、有田川町大字歓喜寺字中越で承安3年(1173)正月8日(父平重国、母湯浅宗重の娘)に生まれました。8歳の時、両親と死別。その後京都神護寺に入門し修学に励みました。
青年期には再び故郷の地に帰り仏法の奥義を極める厳しい修行をしました。後に後鳥羽上皇により京都、栂尾の地を賜り高山寺を創建し、また東大寺の学頭になりました。

当世は明恵上人のごときを聖人と言うべし

明恵上人は、本来あるべき姿の仏教、あるべき姿の僧をめざした修行や学究をとおして、故郷との関係を生涯深く親しいものにしました。

後鳥羽上皇、建礼門院(安徳天皇の母)に戒めを授け、北条泰時をはじめ多くの人々に慕われすぐれた弟子を育てました。
清く澄んだ静かな故郷で修行し、「摧邪輪」をはじめ、多くの本を著しました。晩年も厳しい修行を続けながら、すぐれた弟子達に見守られ、清らかな地、高山寺が終焉の地となりました。

明恵上人は、限られた一宗一派の祖師となる心はなく、ひたすら釈尊をしたい、実践を重んじました。
鎌倉時代における仏教に新しい生命を与えた高僧であり、名誉と利益を離れ純粋無垢にその生涯を生き通した清僧でありました。

明恵上人が亡くなられたとき、宗派の違う天台座主の良快は「当世は明恵上人のごときを聖人と言うべし」と述べられていることから、いかに高僧であったかがうかがわれます。

絵本

明恵上人 (有田川Web-Library)

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